桃源郷のお話

The Power Spot in Norikura


乗鞍高原は不思議なところです。
例えば台風が直ぐ近くを通過してもさほど暴風にさらされると言うことがありません。
何処にいてのんびりした空気が流れていて、初めて来た方も「なんだか分からないけど良い場所ですね」と言われます。
自然の花の宝庫と言っても良いほど、多くの花が咲いていますし、此処より北の方でないと見られない花が咲いていたりします。
 
もっと不思議なのは、これほど深い山の中なのに古くから人が住んでいて、少なくとも弥生時代まではその歴史をさかのぼれます。
うちの直ぐ近くにある「梓水神社」は1300年前に朝廷が記録した延喜式に名前が残されています。つまり、1300年以上前までさかのぼる神社が存在した のです。
その頃人々は何で生活したのでしょうか?  不思議です。

 

又、乗鞍高原の本来の地名は「大野川」と言います。
字から解き明かすと「大きな野を流れる川」となります。でも、そう言えるほどの平野が広がっているわけではないです。

先ほどの「梓水神社」は今は「しすいじんじゃ」と呼ばれていますが、本来は「あずさみずじんじゃ」でしょうし、もう少し読み解くと「あづみじんじゃ」と呼 ぶこともできるのです。
「あづみ」は今の「安曇」郡で松本市に合併する前は此処は「安曇村」で「南安曇郡」に属していました。

「安曇」というと伝説の「安曇族」に行き当たります。神話と言うより古代からの言い伝えとも言えるし、南方から移住した海洋民族という説もあります。
地名学ではこの「安曇族」の移動の後が西日本の至る所に残されています。
前に読んだ本では、北九州に上陸した「安曇族」は瀬戸内海を東に移動して琵琶湖にいたり、そこの拠点をもうけた。その名残が滋賀県の「安曇郡(あどぐ ん)」と安曇川(あどがわ)だったり、織田信長が壮麗な城を建てた「安土」も本来は「あど」と読まれたらしいです。
その後、伊勢の方に南下し、海を渡り再上陸したのが「渥美半島」これも「あづみはんとう」から生まれた地名だと言う人もいます。
そして、そこから北上して天竜川に沿って今の諏訪湖にいたり、また今の安曇野を含む広い平野に展開したと言われています。

この安曇族の足跡と関連する伝説神話を紹介したら、とてつもない量になりますので興味のある方は書籍やネットでお調べ下さい。
以上、伝説の安曇族が梓川をさかのぼり、今の乗鞍高原まで勢力を拡げ、松本平や安曇野を潤す梓川の水神を祭る神社を建てたのが「梓水神社」なのでしょう。 今は上高地にある「穂高神社奥宮」の末社扱いですが、大昔はちゃんとした独立した神様だったのだと思います。

この様な歴史を読むことのできる神社が此処に存在して、何らかの方法で人々が住み着いていた場所なのです。
この様な深い山奥でそれほど古くから人が生活してきたと言うこと自身不思議です。

それを考えるとやはり豊かな山の幸があってと言うことや、色々な理由はつくと思いますが、やはり私は乗鞍岳の恵みであったのではないかと思います。

地形的にも面白い土地です。西に霊峰乗鞍がそびえ、その緩やかな裾野に広がるのが乗鞍高原です。そして、その周囲を山脈で囲まれた地形で、豊かな川が流れ 出ています。
これを絵にして眺めると、中国で古代より伝えられてきた「風水」で言う理想の形「桃源郷」によく似ています。
「桃源郷図」は書籍などで紹介されていますので見ていただければ分かると思いますが、乗鞍高原はそれによく似た形の高原です。
それがここに住む人々が自然の猛威にさらされないで、子々孫々伝わった一つの理由でもないかと思えます。

そして、なんと!
小さな国のある地形も、その「桃源郷」によく似た小地形を形作っています。
だから、何か懐に抱きかかえられたような幸せな雰囲気に包まれるのでしょう。

こうかくとますます誤解をされそうですね?
でも、そう言う気分になる場所なのです。

 

 

ここに住み着いて25年。いつも感じることを書くとこの様になるのです。
本当かどうか、実際に来てみて感じ取ってください。